日本食海外普及功労者
伊藤さんは、当時白洲次郎や東山魁夷などが通った、西銀座1丁目並木通りの寿司店、”喜かく” に勤務。寿司業界のリクルート的な存在であった、ヤマシンの会長からの依頼で、1959年に当時香港で唯一だった日本食レストランで寿司職人として腕を揮いました。
そして1964年、当時のデュッセルドルフの日本人人口がまだ600人程度であった頃、日本の食料品業界大手数社が出資し、岸首相の肝いりでデュッセルドルフのImmermannstr のホテルニッコー横(*) にオープンした、ドイツ最初の日本食レストラン、”日本館” の寿司職人として渡独。
* 1979年オープンのホテルニッコーの右隣のビルの1階で、現在は中華系の寿司ステーキ店
寿司は食べない昭和天皇が訪独された時には機内食用のお弁当を作り、今上天皇が即位される2年前、まだ皇太子であった頃に欧州を訪問された時には伊藤さんがお寿司を握りました。
天皇がお使いになられる器は日本から持ち込まれ、伊藤さんが料理を用意している時は宮内庁の人たちがその様子をずっとチェックしていたそうです。
ドイツに半世紀以上住み、ヨーロッパでの寿司職人のパイオニアとも言える伊藤さんは現在、同じ職人さんが何十年もの長い間勤め、本来の日本食の味が安定した同寿司レストラン、”喜かく” (Dream Team Duesseldorf
GmbH)でアドバイサーを勤められています。
表彰状(画像をクリックすると拡大されます)
Jan.2014 EK