日本食海外普及功労者

レストラン”喜かく” 創業者、伊藤文夫さん

は、2013年11月1日、ホテルオークラ東京で行われた、安部晋三内閣総理大臣も出席した、農林水産物等輸出促進全国協議会にて、林農林水産大臣より、栄誉ある第7回日本食海外普及功労者の5人の中の1人に選ばれて表彰されました。

 

日本食海外普及功労者とは、世界中に住む日本人の中から、日本食を海外で普及することに貢献した人たちの中から特に選ばれた人です。伊藤さんの他には、香港の安部隆考さん、ケニアの陣山れい子さん、スイスの田中伸二さんが日本食の普及に、アメリカのヨウスケ ジェイ オウ ホンジョウさんが緑茶の普及で表彰されました。

伊藤さんは、当時白洲次郎や東山魁夷などが通った、西銀座1丁目並木通りの寿司店、”喜かく” に勤務。寿司業界のリクルート的な存在であった、ヤマシンの会長からの依頼で、1959年に当時香港で唯一だった日本食レストランで寿司職人として腕を揮いました。

 

そして1964年、当時のデュッセルドルフの日本人人口がまだ600人程度であった頃、日本の食料品業界大手数社が出資し、岸首相の肝いりでデュッセルドルフのImmermannstr のホテルニッコー横(*) にオープンした、ドイツ最初の日本食レストラン、”日本館” の寿司職人として渡独。

 

* 1979年オープンのホテルニッコーの右隣のビルの1階で、現在は中華系の寿司ステーキ店


デュッセルドルフの日本人の歴史に関する詳しい情報はこちら

 

前列左から2番目が伊藤さん、4番目が安部首相

当時のドイツでは、中華料理の焼きそばにスパゲッティーの麺が使われていた時代。現在では当たり前のカリフォルニア米がない、鮮魚がない、炊飯器がない、調理に使うガスがないなど、ないない尽くしの中で大変に苦労されながらも寿司を始めとする日本食の普及に健闘されました。

 

1977年には Klosterstr に、現在ドイツで最も歴史のある寿司レストラン、”喜かく” をオープンさせました。

 

当時入手することのできたお米は、ドイツのデパートで販売されている子袋入りの、日本のお米とは程遠いお米。研ぐととけてしまうようなそのお米を使い、さらにはそれをドイツのパン焼き機で悪戦苦闘して炊いたそうです。

鮮魚はパリまで片道約550kmを、寝ずの強行軍で仕入れに行き、一度は大事故を起こしてマグロをフランスの高速道路にばら撒いてしまうなどの事故も起こしながら調達。

 

そのような様々な苦労を跳ね除けて、デュッセルドルフを訪れる著名な各界の日本人やドイツの各界の著名人に、本場日本のお寿司を提供して喜ばれたり、魚を生で食べる習慣の無いドイツ人に紹介して広めました。

 

さらには東ドイツ、チェコ、ポーランド、ハンガリーなどの各公式ペーティーへ週末を使い、これも強行軍で寿司を握りに行って寿司及び日本食の普及に努めたことが認められて今回の表彰となりました。

当時の皇太子(現今上天皇)ご夫妻にお寿司を握る伊藤さん

寿司は食べない昭和天皇が訪独された時には機内食用のお弁当を作り、今上天皇が即位される2年前、まだ皇太子であった頃に欧州を訪問された時には伊藤さんがお寿司を握りました。

 

天皇がお使いになられる器は日本から持ち込まれ、伊藤さんが料理を用意している時は宮内庁の人たちがその様子をずっとチェックしていたそうです。

 

ドイツに半世紀以上住み、ヨーロッパでの寿司職人のパイオニアとも言える伊藤さんは現在、同じ職人さんが何十年もの長い間勤め、本来の日本食の味が安定した同寿司レストラン、”喜かく” (Dream Team Duesseldorf GmbH)でアドバイサーを勤められています。

  


表彰状(画像をクリックすると拡大されます)

Jan.2014 EK