デュッセルドルフ市の情報詳細

ドイツ西部、Koelnの北約30kmにあるNRW(Nordrhein-Westfallen)州の州都

 

面積: 34.085km2 (ドイツ国土全体の9,5%)

人口: 588.169人、内外国人102.192(17,4%)(外国人の)内トルコ人14.344(14%, 201012,市の統計より)



人口 Oberkassel(オーバーカッセル): 39.975人、内外国人7.604(19%)(外国人の)内日本人2.197(55%)  世帯数: 341.009

地理的にはドイツの金融の町であるフランクフルトの北約230km、ヨーロッパの物流の町であるアムステルダムの南東約230kmEU本部が置かれているブリュッセルの西約200km、ケルンの北約40kmのところに位置しています。

 

人口588.169(201012,市の統計より)のデュッセルドルフ市には、その人口の約0.8%4.885人()の日本人が住んでいます。つまり市の住民の100人に1人近くは日本人ということになります。ですがそれでも日本人はデュッセルドルフに最も多く住む外国人のベスト7にも入っていません。

 

デュッセルドルフには外国人が人口の17,4%も住んでいるからです。外国人の中でも最も多いのは戦争の頃の影響もあってトルコ人で11.8%も占めます。そしてその後に続くのがイタリア人、ポーランド人、ギリシャ人、クロアチア人、セルビア人、ロシア人などです。

 

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中央駅前のImmermann Str. (イマーマン通り)周辺には日本人のためのさまざまな商店が集まっていて俗に日本人通りと呼ばれています。日系企業の数は、商工会議所に届けを出している企業だけでも237(201111)あり、その周辺まで集めると(Rheinland)その数は298社にも及びます。

 

日系企業以外にもオランダ系573社、イギリス系521社、アメリカ系319社、スイス系288社などと世界中から企業が集まっています。

 

デュッセルドルフ市のほぼ中央にはライン川が流れていて市が東西2つに分かれています。そしてその2つが3つの橋で結ばれています。東側が中央駅のある市の中心地側で西側は(高級)住宅地となります。

 

西側には日本人幼稚園・小学校・中学校、(ミツトヨさんの作った)日本のお寺などがあって、子供を持つ日本人家族が多く住む地域です。日本人幼稚園・小学校・中学校のある一帯を Oberkassel (オーバーカッセル)というのですが、その地域には特に多くの日本人が住んでいます。


ネットdeデュッセルのシンボル写真でもあるサイト上部の画像は、デュッセルドルフ市内とオーバーカッセルを結びU-Bahnも通っている真ん中の橋、Oberkasselerbruecke(オーバーカッセラーブリュッケ/オーバーカッセルに向かう橋)から旧市街、アルトシュタット方面を写したものです。

 

Oberkasselerbrueckeが出来上がったのは意外と古く、1898年のことでした。それ以前は、橋の少し南側(上流側)に、現在のKaiserswerthにもまだある、そういうとちょっと大げさですがカーフェリーの渡しがありました。そしてその南には、1839年から1898年までPontonschiffsbrueckeという橋がありました。

 

デュッセルドルフの街中とオーバーカッセルは3本の目立つ橋で結ばれていますが、Oberkasselerbrueckeの北側(下流側)にあるTheodor-Heuss-Bruecke(テオドア ホイス ブリュッケ)1957年、そして南側(上流側、TV塔の横)にあるKniebruecke(クニーブリュッケ)1969年に出来上がりました。 

 

さらに南(上流)にあり鉄道を通すHammereinsenbahnbruecke1870年、その南にあるデュッセルドルフとノイスを結ぶ橋は1929年、メアブッシュと空港を結ぶFlughafenbruecke2002年の完成。

 

 

ユーチューブのロルちゃんによるデュッセルドルフ紹介ビデオ

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